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   スロー風土抄    by 大塚栄寿



      

第1回

プラハで「上を向いて歩こう」


 今年の夏も暑く、真夏日が10月2日までもちこした。列島に台風がいくつも上陸し、アメリカではハリケーン、インドでもサイクロンが大きな被害をもたらした。海面気温が異常に上昇したためという。これも、地球温暖化の影響だろう。
 8月12日。群馬県でも最高気温が28度を超えていた。20年前のこの日には、上野村の御巣鷹山に524人を乗せた日航のジャンボ機が墜落、乗員・乗客520人が亡くなった。歌手の坂本九さんも犠牲者の一人だった。

 坂本九というと、思い出すことがある。チェコのプラハを訪れたときのことだ。
「百塔の街」といわれるプラハ。観光客が多いのは旧市街の広場やヴルタヴァ川に架かるカレル橋、それを渡った高台にあるプラハ城である。観光名所をはずれると、新市街になる。住宅地でもあり、夜などはひっそり。
 「ウ・カリハ」は、こんな一角にある。ガイドブックにはレストランとあるが、居酒屋ふうビアホールだ。店の名前はチェコ語で「聖なる杯」という。『兵士シュヴェイクの冒険』を書いたヤロスラフ・ハシェク(1883〜1923)が、よく足を運んだという。壁にシュヴェイクらしい兵士が敬礼しているマンガが大書してあり、いろんな国の言葉で落書がいっぱい。「また来るぜ」。高倉健扮する映画の主人公が口にしそうな日本語も見つけた。

 楽士が2人、アコーディオンとチューバを鳴らしながら、客のあいだを回って歩く。観光客を見定めて、その国の歌を奏でると、ビールのほどよくまわった客席から、やんやの喝采が送られる。なかには踊りだすのもいる。キリストが最後の晩餐に用いた杯を名前にいただいたた店にしては気取らず、あけっぴろげな雰囲気が客を呼ぶのだろう。
 日本の歌は、坂本九ちゃんが歌った「上を向いて歩こう」だった。なぜ、プラハで坂本九なのか。ちょっととまどう。考えてみると、この歌が発表された1961に日本でたいへんヒットし、アメリカでも人気を得たのだった。「九」は本名で、ヒサシと読むが、みんな「キュウちゃん」と呼びならわして、人なつっこいニキビ面を愛した。彼は、「上を向いて」のあと「幸せなら手をたたこう」を歌った。酒場の隅でサラリーマンが手をたたき足を踏み鳴らした。カラオケがブームになる16年も前のことである。

 この年は、都市部で電気洗濯機の普及率がようやく50パーセントを超した。日本経済が高度成長期に突き進んでゆく直前。エネルギーを秘め、希望に満ちた時期だった。アメリカでは、ジョン・F・ケネディが史上最年少の大統領に就任、ソ連では宇宙船ウォストーク1号が打ち上げられ、人類は初めて大気圏の外に出て地球をながめた。ガガーリン飛行士は帰還後に語る。「地球は青かった」。ケネディは63年11月22日、凶弾に倒れた。45歳。九ちゃんは85年8月12日、日航機墜落事故に遭った。44歳。ともに、成熟した姿をみせる前に亡くなった。

 ウ・カリハでは、客の歌声が続いている。伝統料理のロースト・ダックやクネドリーキを食い、黒ビールにしたたか酔った私は楽士君に右手挙手の敬礼をした。兵士のシュヴェイクがしただろうように。そして呟いた。「また来るぜ」




プラハ旧市街広場。チェコにおける宗教改革の先駆者ヤン・フスの像が見える。




プラハの居酒屋でご機嫌な外国人観光客




プラハの居酒屋で「上を向いて歩こう」を演奏する楽士



(2005.10.5記)



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