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   スロー風土抄    by 大塚栄寿



      

第2回

ブータンの「幸福度」



 世界地図をひろげて、「ブータンって、どのあたり?」と中学生に聞いてみよう。国の位置を即座に指し示すことができる生徒は少ないだろう。世界で最も人口の多い中国とインドに挟まれ、面積は九州とほぼ同じ、人口約70万人の小国だ。しかも、この王国は過去数世紀にわたって鎖国政策をとり、外界に扉を閉ざしてきたのだから、忘れられたような存在だったのも、むりはない。十数年前まではインドから延々と車で入るしかなかったが、いまは、タイのバンコクからパロへ定期便が飛び、観光客を迎える。
 
 2004年の夏、ブータン西北部のアムジョモ峰(4、550メートル)に登った。ヒマラヤの東南端である。青いケシや珍しい温室植物ノビレダイオウを見るのも楽しみのひとつだった。
 青いケシ。ヒマラヤに咲く幻の花だという。私は「幻の」ということばが、ずっと気になっていた。16年前、朝日新聞日曜版に「世界 花の旅」が連載された。同紙のコラム「天声人語」を担当した辰濃和男さんも執筆者のひとりで、当時、日本からの旅行者は少なかったブータンに入り、青いケシを紹介した。「空の青を切り取ったような鮮やかな花びらの色と暗く濁った賽の河原の色との対比が異様だった。しんしんとした気持ちに誘いこまれる青さだ。その青さの中にブータンの空があり、湖があり、遠い山なみがあった」(1990年3月4日付)。文中の賽の河原とは、氷河が残した跡を指しているとおもわれる。私も標高4000メートルあたり、黒い石の積み重なった大斜面で、初めて青いケシを目にした。
 辰濃さんの取材では、28年間をこの国の農業発展に尽くした西岡京治(にしおか・けいじ)さんが道案内をしている。西岡さんは、その3年後に客死した。生前、国王から貴族や政府高官にだけ与えられるダショーの称号を受けた日本人の死を、多くのブータン人が惜しんだ。

 狭い国土のうえに、72パーセントが森林という限られた耕地のなかで農業生産を高め、水力発電による電気をインドに輸出している。1人当たりの国民所得は、わずかに760ドルで最貧国に分類される。それにもかかわらずブータンは、ここ数年脚光を浴びている。グローバル化の大波のなかで、どの国でも開発のありかたが問い直されているからだ。
 開発のあり方をかんがえるときに、ブータンが推し進めているGNH(グロス・ナショナル・ハッピネス)が、新しいモデルとなるだろうと注目されるからである。国民総生産(GNP=グロス・ナショナル・プロダクト)を指標にするのではなく、「国民総幸福量」とでもいおうか、社会の同質化の勢いに対抗し、他の国と異なることで独自の文化的アイデンティティーをめざしているのだ。
 
 ふたたび「花の旅」の記事を引く。この国の人たちの幸福度が計れるような一節だ。「ブータンの人たちと旅をしていると、己の後ろ姿が次第に見えてくるような、そんな思いが日ごとに深まっていった。(彼らは)常に、あせらず、いからず、うろたえず、の趣がある。あせって、いかって、うろたえて、という己の後ろ姿をいやでも見ることになる」


 国連児童基金(ユニセフ)の主催で写真展「ブータンの子供と女性――国民総生産より国民総幸福の国から」が、11月1日から30日まで東京・渋谷のUNギャラリー(国連大学ビル)で開かれる。入場無料。問い合わせは、日本ユニセフ協会(03-5789-2016)。





ブータンの青いケシ(標高4000メートル地点で)




珍しい温室植物「ノビレダイオウ」(標高4500メートル地点で)




標高4200メートルの高原に放牧されているヤクの群れ




ブータンは仏教の国。寺で修行する子供たち(パロで)



(2005.10.24記)



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