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   スロー風土抄    by 大塚栄寿



      

第7回

日本海の恵み


 冬の日本海には、白兎が跳んでいるような荒波が似合う。北原白秋作詞、中山晋平作曲「砂山」は、「海は荒海 向うは佐渡よ」と歌い出すし、演歌も日本海を舞台にすれば、風雪の舞う背景に男と女の悲恋を唄う。かつて裏日本といわれた日本海側には、とかく、荒涼としたイメージがつきまといがちだ。しかし、その日はすっかり凪いで、明るい海が広がっていた。

 糸魚川市の能生町へ、山の仲間数人と、ズワイカニを食いに行った。言い出したのは、ネパールから一時帰国していた宮原巍さん。宮原さんはエべレストやローツェ、アマダブラムなど「神々の白い座」を一望する地にホテル・エベレスト・ビューを建てた。自身、還暦にエベレスト登頂を試みたが、頂上直下で目が見えなくなり引き返した。今回のメンバーは、ヒマラヤをトレッキングしたり、南極大陸を踏んだりした人たちばかりだ。ふだん、みな海には縁が薄い。私はカニも食いたいが、海辺の烈風の中に身を晒すのもいいな、と考えていた。

 JR北陸線筒石。珍しいトンネルの地下駅である。どこまで続くかと思われる階段をゆっくり上って、やっと地上改札口に出た。駅員さんにもらった案内チラシによると、上りはホームから212メートル、280段ある。下りは176メートル、290段を歩かなくてはホームに辿り着けない。朝夕の通勤・通学客は、さぞ足腰を鍛えられるだろうな。駅が開かれたのは1912(大正元)年12月16日という。改札を出ると、青田浩さんが待っていてくれた。この人は宮原さんの知り合いで、地付きの人。名刺をもらったら、肩書にAlpinistとある。登山家が海辺に住んでいるのもおもしろい。
 
 筒石漁港に行く。午後2時を回っているのに、小さな市場では、これからセリを始めようというところだった。長靴をはいた地元のおじさん、おばさんが魚を選別していた。アンコウやカニ、イカに混じって、なじみのないゲンギョとか、メギスといった魚を入れたプラスチック製の箱の傍らに、色の鮮やかな40センチくらいの魚が一匹、横になっている。青田さんに聞いたが、わからない。翌日、青田さんは「糸魚川海岸の生物たち」という魚貝類案内を見ながら、「あれは、ノドグロだとおもう」と言った。ノドグロとは、このあたりの方言で、和名アカムツのこと。おもわず、夕食のご馳走を想像してしまった。
 近くの集落は、海からの強い風を防ぐために肩を寄せ合って櫛比している。海側と山側の家の間は通路だ。向こう三軒両隣どころか、一声かければ、向こう十数軒にだって話は通じるだろう。道の端で遊んでいた小学生の女の子数人が、口をそろえて「こんにちは」と挨拶した。

 筒石は、水上勉の小説「越後つついし親不知」の舞台である。親不知から約5キロ山奥の寒村に住む主人公、瀬神留吉の女房おしんは筒石で孤児として育ち、23の齢に嫁していった。いったいに、水上勉の作品は越前、越中、越後と日本海の海岸沿いを背景に描いたものが多い。「はなれ瞽女おりん」、「越前竹人形」などの小説や紀行文にも、たくさんの地名がでてくる。水上は若狭に生まれた。幼い頃から、この海岸線がつくる荒々しい断崖や絶壁の風景にはなじんでいただろう。
 
 さて、能生の夜の膳は私の想像を裏切らなかった。ズワイは大皿にデンと、あぐらをかいているのはもちろんのこと、イシダイの刺し身、アンコウの頭のたたき、アンコウの鍋、メギスの一夜干し、そのほか海の幸が陸続と攻めてくる。迎え撃つのは、越後の武将の名を取った地酒。これがまた、すいーすいーっと喉を通る。
 2日目には、青田さん夫妻も宿にやってきた。夫人は高橋竹山。津軽三味線の二代目である。18歳で竹山の内弟子となり、1979年に独立、国内外で公演している。この夜は竹山さんの演奏は聴けなかったが、カラオケで彼女の歌を聴く。旅宿の前は海。彼女の歌は、あたかも潮騒のように高く低く、みんなの耳を打った。
                           (2007年1月25日)




筒石の集落は、海風を防ぐように肩を寄せ合って建っている




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